浅間山荘事件
浅間山荘事件に関する関連サイト、関連ブログ、関連動画をご紹介します。
- 庶民の弁護士 伊東良徳 あさま山荘事件の場合
あさま山荘事件を含むいわゆる連合赤軍事件の被告人坂口弘さんの上告審の弁護を 依頼されたのは1987年の5月でした。 当時、私は弁護士になってほぼ2年。そのころ、 私は、国選弁護事件でいやな思いをしたこともあってあまり国選弁護事件を受任してい ...
- カクカク速報:あさま山荘事件はすごかったよなぁ・・・
2011年2月8日 ... 五十代以上は、緊迫したテレビの映像を鮮明に覚えているだろう。 一九七二年二月、銃 で武装した連合赤軍のメンバーが保養所の管理人の妻を人質に取り、十日間 にわたって立てこもったあさま山荘事件だ ▼警官隊の突入によって、人質は ...
- 【CODMW2】突入せよ!あさま山荘事件2 ‐ ニコニコ動画(原宿)
2009年12月6日 ... ようつべより転載。。。。仁義なき戦いが今はじまる・・・・日本語版もうすぐ発売ですね。 追記:検...
- 連合赤軍、永田被告死亡、あれは何だったのか?http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110206-00000002-mai-soci昭和47年、浅間山荘事件を起こした連合赤軍の最高幹部、永田洋子が拘置所て脳腫瘍のたため死んだ。65歳になっていた。連合赤軍結成前後から浅間山荘事件までに、メンバー14人を「総括」と称してリンチ殺害、浅間山荘では警官2名と一般市民1人を殺害。このニュース記事には、「一つの時代の終焉」と評していますが、永田洋子の時代とは、いったい何だったのでしょうか?連合赤軍とは一線を画していた赤軍派も、テルアビブ銃乱射で罪のない市民を26人も虐殺。また革マル派と中核派の果てしない内ゲバでは、30年に及ぶ殺し合いで百人以上が死亡。「人民解放」だ「平和平等」だと叫んでいた当時の学生たちの単純さには呆れますが、考えてみればその原型たる日本共産党は地下活動していた戦前に2度もリンチ殺人を起こしているし、社会主義の国々では、スターリン、毛沢東、金日成、ポルポト、チャウセスク、どれをとっても独裁政権下で粛清の名のもと大量虐殺を起こしている。そして今もその体制を堅持する北朝鮮は、人民の大量餓死そっちのけで一般市民を標的にしたテロを繰り返している。知恵袋でも未だに左翼思想をちらつかせたり、堂々と金正日を讃える者も出て来ますが、そういう人たちは、あれを過ちと思わず繰り返そうというのか、それとも別の方法で平和裏に共産主義建設ができるという躯体的な目算があるのでしょうか?私は自由経済における資本主義が理想とは思わないが、社会主義、共産主義を信奉する人たちは、それがどうして人民の幸福を実現する思想としかしんが持てるのか、分かりやすく教えていただきたい。永田洋子に代表される、あの時代をリアルタイムに見てきた世代の人は、これらの左翼思想をどう振り返りますか?忌憚のないご意見をどうぞ!
- 資本主義社会で人生に失敗した人間が権力を望むために標榜するのがエセ共産主義です。実際に共産主義社会が実現できていないのは皆が知るところではありますが、いずれ共産主義社会をつくるといって社会主義国家が造られた例は存在しています。そして社会主義国家では最初に指導者の位置にいる人間が特権階級として権力と富を独占してしまうわけです。資本主義社会では失敗した→共産革命を起こせばいい。最初の指導者層に食い込めば成功する。という考えではないでしょうか?所詮欲の結果です。共産主義を掲げるなら、資本主義の中にあって自分だけでも共産主義的生活を送ることを心がけることは可能です。一人が始めて協賛する人間が増えてゆけばそれは正しい共産主義の主張となるでしょう。具体的には、自らの財産を貧しい人に分け、彼らと同じ生活を自主的に心がけることです。しかし、そんなことをしている人は見たことがありません。共産主義を掲げながら財産を溜め込んでいるのは矛盾だと思います。
- 軽井沢は何県にありますか?長野県ですよね。浅間山荘事件は群馬県の軽井沢となっています。日本には2つ存在しているのでしょうか?お忙しい所、御回答よろしくお願いいたします
- 事件の現場となった河合楽器の保養所「浅間山荘」があったのは長野県軽井沢町。もともと群馬県の山岳地帯にアジトを構えていた連合赤軍が、群馬県警の包囲網に脅威を感じて長野県に逃れようとしたのが事件の発端。だからこの事件の場合、現場が何県かというのはかなり重要な意味をもつ。どこに書かれていたのかは知らんが、県名を間違えている時点でその文章の信用度は著しく低いものだと分かるから、鵜呑みにしないように。事件のことは取りあえず措くとして、「軽井沢」という地名の範囲について。この地名は現在、広い意味では長野県軽井沢町とその北の群馬県嬬恋村の南部を指すことになっている。本来の「軽井沢」はもちろん長野県の地名で、江戸時代の中山道の宿場町、軽井沢駅の北側一帯(旧軽井沢)を指していた。しかし明治以降、ハイカラな別荘地としての「軽井沢」の名声が高まると、近隣地区がそれにあやかって自分たちも「軽井沢」を名乗るようになる。地名のブランド化だ。軽井沢とは別の町だった西隣の沓掛が、西にあるのに大胆にも「中軽井沢」という地名に改称。そして戦後、不動産業者が北隣りの群馬県嬬恋村の浅間山北麓一帯の土地を「北軽井沢」と名付けて別荘開発を行ったことから、広義の「軽井沢」の範囲は県境を越えて群馬県域も含むようになった。でもそのことと浅間山荘事件とは関係が無い。その名前から山荘の所在地は浅間山麓にあったと思われがちだが、実際は軽井沢町の南端、南軽井沢と呼ばれる地区にあった。群馬県域を含む北軽井沢とはまったく方向違いの場所だ。正しい地理感覚があれば、現場を地図で確認するという手間さえ惜しまなければ、事件現場を「群馬県の軽井沢」などと平然と書けるはずがないんだよ。

- 1972年2月28日 テレビの一番長い日 5/17
1992年、あさま山荘事件20周年に際し放映されたドキュメンタリーです。

- 1972年2月28日 テレビの一番長い日 11/17
1992年、あさま山荘事件20周年に際し放映されたドキュメンタリーです。

- 浅間山荘事件3/6 連合赤軍 1972年(昭和47年)牟田泰子を救え!
時、連合赤軍の前身である京浜安保共闘は、真岡銃砲店襲撃事件で猟銃店を襲って銃と弾薬を手に入れて逃走を続けていたため、警察...
